能登半島地震災害支援募金・台湾東部沖地震義援金募金
4月21日(日)新横浜駅バスターミナルデッキ
10:00~14:00(時間は目安です)
8団ビーバ隊、カブ隊、ボーイ隊、ベンチャー隊のスカウトが実施いたしました。
毎年、この時期にはユニセフ募金を行なっていますが、今年はユニセフ募金と並行して、台風19号の義援金募集を行いました。
とき:2019年11月4日
ところ:JR新横浜駅前 歩道橋
参加人数:ビーバースカウト9名、カブスカウト 17名、ボーイスカウト 10名、ベンチャースカウト 4名、指導者 18名、保護者 19名 合計 77名
午前中は、ビーバー隊とボーイ隊が、午後はカブ隊が実施しました。午前、午後を通じて、セレモニーや運営は4名のベンチャースカウトが担ってくれました。スカウトは全員が大きな声で支援を訴えていました。ご協力いただいた皆様、ありがとうございます。
結果は 義援金総額:60,7066円 ユニセフ募金総額:21,473円 でした。
9月17日(日)に、白楽駅・妙蓮寺駅周辺・仲手原自治会館で、北海道胆振東部地震の義金募集を行いました。当日は、スカウトの日として清掃奉仕ならびにハザードマップ作成を予定していましたが、急遽変更し、BS隊は地震に備えたハザードマップ作成、CS隊・BVS隊は義援金募集を行うことにしました。
•募金額 \64,178、送金日2018/09/10、送金額 \63,839円、
•募金実施日時 2018/09/17
・場所 仲手原自治会館前、妙蓮寺駅前、白楽駅前
•参加団 横浜第8団•
•隊名 BVS隊、CS隊、指導者、保護者
•参加者数 55人、義援金募金活動
9月9日(日)に、新横浜駅前で、2回目の平成30年7月西日本豪雨の義金募集を行いました。
•募金額 \68,350、送金日2018/09/10、送金額 \68,010円、
•募金実施日時 2018/09/09、場所 新横浜駅
•参加団 横浜第8団•
•隊名 BVS隊、CS隊、BS隊、VS隊、RS隊、団委員、保護者
•参加者数 93人、義援金募金活動
西日本豪雨災害支援のため、雑巾と未使用のタオルを集めました。
港北区災害ボランティア連絡会から、NPO法人レスキューストックヤードに送り、復旧・復興作業に活用していただきます。
7月22日(日)に、港北区災害ボランティア連絡会のみなさんと合同で、平成30年7月西日本豪雨の義援金募集を行いました。
急な実施にも関わらず、カブスカウト13名、ボーイスカウト13名、ベンチャースカウト1名、ローバースカウト1名、指導車12名、保護者5名の合計45名が参加してくれました。
カブスカウトとカブ隊の指導者は、前日が海洋訓練でとても疲れていたと思うのですが、大勢参加してくれて嬉しかったです。それでもカブスカウト達は「えっ!これだけ?少な!なんでみんなこないの」と言ってました。「奉仕は当然」みたにな姿勢に、嬉しく思いました。
あつまった義援金は、本日(7月23日)に全額を日本赤十字社に送金しました。¥215,240-でした。
集まった義援金の中には、1万円札が1枚、5千円札が3枚入っていました。ご協力いただいた大勢に皆様の善意に、感謝です。
寺口団委員長から、貯金箱ごと「義援金に」とお預かりしました。貯金箱には
50円 26枚 1300円 10円 201枚 2010円 5円 51枚 255円 1円 272枚 272円
合計 3897円 が入っていました。ご協力ありがとうございました。
(港北区災害ボランティア連絡会のホームページもご覧ください。)
熊本大地震で被災された皆さんへの支援のために、義援金の募集を行いました。
1回目 4月24日(日)団バザーでの募金箱設置
ベンチャースカウトが募金箱を準備し、団バザーにおいて義援金を募集しました。21,810円の義援金が集まりました。
2回目 5月4日(水)11時〜15時
3回目 5月5日(木)11時〜15時
ビーバー隊・カブ隊・ボーイ隊・ベンチャー隊・ローバー隊の有志スカウト、保護者・指導者で、新横浜駅前で義援金の募集を行いました。
2日間で延71人が参加、集まった義援金は、4日 115,215円 5日 124,303円 合計 239,518円 でした。
集まった義援金は、すべてボーイスカウト日本連盟を通じて日本赤十字社に送らせていただきます。
実施日 2015年9月9日(水)~11日(金)
参加者 6名(中島一郎、吉田美夏、中島恒太、小島まりも、中島菜緒子、北垣衛士)
今回贈呈した募金は173,978円、これまでの募金額の累計は約80万円となった。また、被災地の状況を身を持って学ぶことができた。
特にメディアでは報道されておらず、実際に目にして初めて知ったことも多かった。常磐道では原発に近付くにつれ、無人の家や放置された耕作地が目立ち、原発事故からの復興の困難さを目にした。
またJR気仙沼線や大船渡線に代わる交通機関としてサービスの提供が開始されたBRT(バス高速輸送サービス)は、かつての線路を舗装して専用道路を整備し、いち早く復興の足掛かりとなって機能していた。一方で専用道路のみでなく一部一般道も使用するため事故や渋滞に巻き込まれるリスクがあること、駅がバス停であるため駅前が発展しないことなどの課題もあった。
他に東北の主要な交通機関として、一番に挙げられるのが三陸鉄道である。三陸鉄道は南リアス線と北リアス線に分かれ、その間をJR山田線が走っていたが、現在もJR山田線は復興の目途が立っておらず、各路線の終点である釜石駅と宮古駅間は今でもバスで往復しなければならない状態だった。実際にBRT大船渡駅から北リアス線宮古駅までを往復すると、接続の悪さもあり往復だけで11時間以上もかかることとなった。
メディアで震災について報道されなくなった分記憶が風化し、被災地復興については遠く過去のように感じていたが、今なお課題が多く残されていることを痛感した。
何より目についたのが大量の盛り土と極端に高い堤防だった。これにより周囲の景観が損なわれ、観光地としての価値が低下していることは、今回が震災後初の訪問だった私にも容易に想像できた。
また宮古駅・釜石駅間のバスの乗り継ぎもスムーズにできるとは到底言えなかったが、途中にある県立病院なども未だ仮設であることには驚いた。前述した津波対策もそうであったが、本当に必要な場所に予算が使われているのかどうか疑わしかった。
こうした現状をこの浮き球募金活動の中で目にし、自分達が見聞きしたものをより広く伝え、被災地の復興とは程遠い現状を多くの人に知ってもらえるよう努力しなければならないと思った。そのためにもこの活動を毎年継続し、SNSなども活用してできる限り多くの情報を発信していきたい。
(報告 ローバー隊・小島まりも)
今年も「浮き球募金」を新横浜駅前実施しました。当日は34名のカブスカウトが、自分の思いを込めた募金箱をつくって、集まりました。
今年は、
2013年10月の県連ラリー
2014年2月の地区ラリー「B-P祭2014」
でも募金をさせてもらったので、いつもより少し「重い」浮き球から開始しました。
お天気もよく、また、TVで震災関係の番組も多く放送されたからでしょうか、たくさんの方にご協力いただくことができました。
スカウト手製の募金箱から、沢山の善意が「浮き球」に移されていきました。
皆さんの気持ちで重くなった浮き球を、また、この夏には綾里までとどけにいく予定です。
この週末は、横浜市内各地で多くのボーイスカウトが募金活動を行いました。
募金を実施した団は次のとおりです。
横浜第 3団 40名 ¥142,640
横浜第10団 14名 ¥11,959
横浜第19団 4名
横浜第49団 14名 ¥27,560(19団・49団 合同)
横浜第57団 31名 ¥27,200
横浜第58団 60名 ¥60,530
横浜第73団 44名 ¥136,526
横浜第83団 27名 ¥73,743
横浜第103団 48名 ¥141,176
横浜第125団 33名 ¥46,543
横浜第132団 61名 ¥86,970
横浜第133団 16名 ¥42,292
横浜第27団 23名 ¥35,817
横浜第30団 45名 ¥83,200
横浜第11団 ¥195,656
横浜第100団 38名 ¥75,192
横浜第122団 20名 ¥48,142
3月10日にカブスカウトが新横浜駅前でおこなった浮き球募金。その浮き球を今年も綾里漁業協同組合さんにお届けしました。本当は4月はわかめ漁が忙しく、訪問させていただくのにふさわしい時期ではないのですが、今年は事情が有りご無理をお願いしました。
昨年8月に最初の浮き球をお届けした時に、綾里駅構内の草取り奉仕をさせていただきました。運休している三陸鉄道南リアス線の中にはいり、びっしりと生えている雑草の除去をしました。そのとき、三陸鉄道の方から「4月に盛〜吉浜間を復旧させます」というお話をいただきました。しかし、盛〜綾里間の線路の状況や、綾里駅構内を見た限り、とても実現可能なスケジュールだと思えなかったのが事実です。しかし、本当に4月3日に南リアス線が復旧することが決まりました。どうしてもその日に、綾里駅に行きたかったので、今年は無理をお願いしました。
記念の一番列車に乗りたかったのですが、残念ながら抽選にはずれてしまったので、一番列車が綾里駅にはいる4月3日9時45分を目指して綾里駅に行きました。8月にお世話になった、売店の大森さんや、地元のボーイ隊長の小林さん、漁協の山崎さんなど、夏にお世話になった懐かしい皆さんと再会させていただくことができました。また、夏に野営をさせていただいた場所に安置されていた、権現様が踊るのもみることが出来ました。200Kgの権現様が列車を迎えて踊る姿は勇壮でもあり、列車を見送る姿は、かわいらしくもあり、でした。
一番列車には乗れませんでしたが、午後の列車で綾里〜吉浜間を往復乗車してきました。海岸線が複雑で、車やバスで1時間以上かかるところを鉄道は30分でつなぎます。復興を肌で感じることが出来ました。
綾里港はまだがれきも残ってはいますが、夏に比べて相当整備されていました。真新しい漁船が多く停泊していて、港の人たちのたくましさを感じました。気仙沼〜陸前高田〜綾里までの道路も、夏に比べて整備は進んでいます。土嚢で海水から守られていた道路も、かさ上げがされていました。綾里港の堤防の内側の浸水区域もなくなっていました。まだまだ、しなければいけないことは山積みですが、町は少しずつ未来に向かって進んでいました。
南リアス線が動いた翌日、綾里漁協さんに募金をお届けしました。
募金額 122,751円
でした。昨年より多い額をお届けすることができました。
震災で壊れた漁協も、新しく再建されるそうです。浮き球募金は、再建された漁協のなかで、そうとわかる形で活用したい。組合長のお言葉でした。
また、復興していることを自分の目でみるために、この地に来たい。そう思いながら、町を後にしました。
昨年に引き続き、東日本大震災義援金募集活動として、浮き球募金を行いました。
東日本大震災で流され戻ってきた傷ついた浮き球に、スカウトがあつめた募金をまとめて、浮き球のふるさと、大船渡市綾里に届けます。
カブ隊スカウトが集めた昨年の募金は、8月末にRS/VSスカウトの手で綾里漁協にお届けすることができました。そのとき、草抜きをさせていただいた綾里駅に、4月3日からまた三陸鉄道が走ります。少しずつ復興している綾里の町に浮き球をまた届けたいと思います。
今年はとても暖かな中での募金活動になりました。この日差しのように、暖かな気持ちを、届けることができればいいなあ、と思います。
東日本大震災の緊急募金として、ユニセフ募金を実施しました。
あいにくの雨で、寒い日でしたが、みんな雨具を着て元気に募金活動をしてくれました。
新横浜駅前で、午前中はビーバー隊/カブ隊合同、午後がボーイ隊です。参加スカウトは
ビーバー隊 15名
カブ隊 25名
ボーイ隊 8名
の合計48名でした。指導者16名、保護者21名も加わり、総勢83名で募金を呼びかけました。
雨のせいもあり人通りも少なめで、大台にはのりませんでしたが、少しでも復興のお役にたてばと思います。
実施日 2012年10月28日
実施場所 新横浜駅前
実施隊 ボーイ隊・カブ隊・ビーバー隊
義援金総額 89,765円
3月20日カブスカウトが実施した浮き球募金を、8月21日に綾里漁業共同組合まで持参させていただきました。募金総額は、109,012円でした。(注:4月21日のカーボン山桜祭り、4月22日の8団バザーでも追加募金の受付をしました。また、4月21日のカーボン山桜祭り、4月22日の8団バザーでは、三陸わかめの販売もさせていただきました。三陸わかめの売り上げは、30,000円全額を別途、大和田さんを通じて綾里漁業共同組合さんにお届けしました。)
以下に、そのご報告をさせていただきます。
【8月20日(月)】
6時30分に菊名を出発です。参加者は、
引率 CS隊長・中島 VS副長・吉田
スカウト RS隊・中島/夏目 VS隊・福岡/中島
の6名です。デリカ1台に大人6名が乗り、浮き球2個、6人用ドームテント2張り、自立式ターフ1張り、テントマット2枚、簡単な炊具一式、クーラーB0X1個、調味料そして6人分の個人装備を積むのですから、足の踏み場もない状態で、出発です。
8時30分に東北自動車道蓮田SAで大和田さんと合流です。一路、綾里を目指します。
一関ICからは、大和田さんに先導いただいて、気仙沼市街〜大船渡市街の被災地を見学しました。ただ見ただけではわからない深刻な状況を、逐一大和田さんにお教えいただきました。
海の近くには、あちらこちらに草が茂った平らな空き地があります。瓦礫は取り除かれ、きれいな平地になっています。しかし、住宅は建設出来ないのだといいます。再び同じような地震が起きたときに危険だから、というだけでなく、地震によって地面が‘70cm〜100cmも沈下してしまい、少しの低気圧ですら浸水するのだそうです。地面には、乾いた「塩」が白く残っていました。満潮時になると壊れた堤防から海水が入り込む、少しの嵐で潮をかぶってしまう、そんな土地が何100kmにも渡ってできてしまったのです。8月20日は大潮でした。綾里の海岸でも、壊れた堤防から海水が入ってきています。ここにも住宅は建っていたのです。二度と家は建てれないだけでなく、土地としての資産価値も「0」になっています。それどころか、もっとも平坦で便利だった場所が、軒並み利用できなくなっているのです。復興計画作りの困難さを目の当たりにしました。
また、地盤沈下のために、船着き場と海が「同じ高さ」になってしまっています。「港」や「岸壁」ではなく、のきなみ「海岸」「ビーチ」になってしまっています。綾里の港は、突堤自体が地震のため大きく壊れていました。地震と津波で破壊されたコンクリートの破片が、海水に洗われている景色は、自然災害の恐ろしさを改めて実感させてくれます。
綾里駅前にテントを張らせていただきました。あちらこちら見て回ったこともあり、綾里駅前についたのは、ちょうど18時でした。
綾里漁業共同組合の山崎理事に、電源の延長ケーブルや電球、炊飯器で炊いたご飯や枝豆まで差し入れていただき、とても快適な夜になりました。(大和田さんからもモロヘイヤをいただきました。)初日はきっと買い物もできないと覚悟して、レトルト食品を持参していたのですが、山崎理事が駅前の明治屋さんに話をしていただき、閉店後にもかかわらず買い物をさせていただいたので、とても美味しい夕食になりました。採れたてのさんまやカツオのお刺身を購入できたのがとても有り難かったです。
<閑話休題>
大船渡市街から綾里に向かう途中で懐かしい「居酒屋」を見つけました。横浜で営業していた「がんばっぺし」です。ここにも頑張っている人たちがいます。
【8月21日(火)】
9時30分に綾里漁業共同組合山崎理事のお手配で、大船渡第1団の寺澤団委員長と綾里駅前でご挨拶することができました。また、綾里駅前にお住まいで、かつては寺澤様と地区のコミッショナー&副コミッショナーとして奉仕されていた小林様にもご挨拶することができました。寺澤様は、今年82歳とおっしゃっていましたが、とてもお元気で、いろいろなお話を聞かせていただくことができました。
10時にいよいよ綾里漁業共同組合にむかいました。
地元の新聞社の取材を受けながら、浮き球をお渡ししました。「重い」といって佐々木組合長に少し笑みを浮かべていただけたのが、少し嬉しかったです。いよいよ浮き球の開封です。山崎理事がノコギリで浮き球に大きな穴をあけていきます。そこから募金を取り出し、綾里漁業共同組合の職員の方にもお手伝いいただき、金額を数えました。
募金総額 109,012円
震災直後に比べると、やはり募金の集まりは良くはないようです。ただ、自分たちで募金箱を作り、一生懸命新横浜駅前で募金を募った、カブスカウト達の心は、十分にお届けできたと思います。
三陸の海は、波一つない真っ平らな海です。この海が、あれだけの猛威を振るったことが信じられない思いです。佐々木組合長がおっしゃっていた言葉が忘れられません。
「それでも海で生きていくしかないんですよ、この町は」
海を恐れながらも海を愛し海とともに暮らしていく。綾里の町の人たちの生き様をお教えいただきました。
11時30分から、三陸鉄道南リアス線綾里駅の草取りをさせていただきました。三陸鉄道南リアス線は震災のため全線運休中ですが、2013年4月の運行再開を目指しているとのことです。綾里駅周辺のわずかな距離です。少しでもお役にたてばいいのですが。
この作業、実は「せっかく横浜からきてくれるのだから、こんな時しか出来ないことを」と山崎理事がわざわざ三陸鉄道さんにお願いしていただき実現しました。鉄道の線路の中での作業は、確かに「こんな時しか出来ないこと」でした。猛暑の中、山崎理事・寺澤様・小林様・大和田様にはずっと作業にお付き合いいただき、かえってご迷惑をおかけしたのではと恐縮しています。
本当は午前中1時間というお話だったのですが、昼食後(おいしいお弁当の差し入れ、ありがとうございました)、もう少しやろうと言ったのはスカウト達でした。11時30分に始めた作業は、昼食を挟み14時で終わりました。作業終了後、夏目スカウトがこう言ってました。「今度は電車でこの駅に降りたい。」三陸鉄道南リアス線が再開したら、もう一度ここに来ようと、メンバーみんなが思った瞬間でした。
作業終了後に大きなプレゼントが届きました。
佐々木組合長から朝採れた「ワラサ」の差し入れです。「ワラサ」というより、サイズはもう「ブリ」のようです。
大和田さんにご指導とご支援をいただいて、VS隊中島スカウトが解体作業にチャレンジです。立派に3枚におろしました。(始めは私もやったのですが、あまりに下手なので「くび」になりました)これで今夜の夕食は、ワラサの刺身と照り焼き、あら汁に決定です。
ワラサの解体が終わったのが16時。少し綾里の町を大和田さんに案内していただきました。
綾里の町には「復興地」と呼ばれる土地があります。昭和8年にもここは津波で大きな被害を受けています。その時に、人々は津波にあった土地を離れて、高台に新しい町を作りました。そこが「復興地」と呼ばれています。今回も「復興地」は津波の被害には遭わずにすんでいます。山崎理事のご自宅が「復興地」にあり、奥様にお話を聞くことができました。印象的なお言葉を記載しておきます。
○地震が起きたらすぐに避難しろとずっといわれていたのに、今回はあまりに地震が大きくて、何もできなかったんです。
○津波が来て、油のようにすーっと静かに引いていったら、もう何も残ってなかったんですよ。家もお店もいっぱいあったのに。
淡々とお話をされることが、より一層、あの日の「恐怖」を伝えてくれます。
綾里では20数名の方が今回の震災で命を奪われています。もっとも津波が高かったのも、綾里ではないかといわれているそうです。
かつて、災害に遭ったあと人々は「復興地」に難を逃れ、町を「復興」させました。そして時が経ち、災害の記憶が薄れたのではないでしょう、堤防を整備し災害に備えた上で、また人々は平地におりたのでしょう。そしてまた、そこは津波に洗われました。こんどは地震のために大きく地面が沈下してしまい、海抜ゼロメートル地帯になってしまっています。津波ではなく、台風や低気圧ですら海水が入り込んできてしまいます。海岸近くは、満潮時には堤防の破損部分から、海水が入り込み「海」になってしまいます。広大で平坦な土地が、いまはただの草地になり、人が住めない場所に変わっているのです。
海抜ゼロメートル地帯は、三陸海岸のいたるところで発生しています。私たちはそのことを深く考えてこなかったことに、とても恥ずかしい思いをしました。いったいどれだけの広さの土地が、「使用不可能」になってしまったのか。どれだけの「港」が「ビーチ」と化してしまったのか。今回の災害の深刻さを、私たちはもっと知る必要があると思います。
<閑話休題>
夜、1時間車を走らせて碁石温泉に行きました。民宿海楽荘で日帰り入浴ができます。なんと、入浴料「無料」でした。復興事業に携わっている方で満員でした。いい温泉だったのですが、露天風呂入浴中に、ブヨに刺されてしまったのには参りました。左手が1週間、腫れてました。
【8月22日(水)】
朝食は、昨日作っておいたワラサのヅケと、ワラサの塩焼き、そしてあら汁の残りです。綾里駅売店の方から差し入れていただいたピーマンも焼きました。
昨日の昼食時に小林様から、「せっかくだから世界遺産を見て帰れば」とお勧めをいただき、予定を変更して中尊寺に向かうことにしました。
朝、撤収作業をしていると、近隣の方からお声がけをいただきました。皆さん「募金」と「草刈り」を大変喜んでいただき、お礼を言っていただきました。新聞社の取材やら三陸鉄道への依頼やら、お弁当やら差し入れ等でかえってご迷惑をかけたのではないかと恐縮至極なのですが、暖かく強い綾里の人々にこころからお礼を言わせていただきます。
この朝にも、震災の当日のお話を聞くことができました。綾里駅が最後の避難場所になったそうです。町で考えていた避難場所では危険だと、小学校の先生が児童を連れて駅に避難されたそうです。そのうち、多くの人が車で避難してきたので、先生方かバリケードを作り児童たちを車から守り、駅のホームまで誘導されたそうです。
綾里駅には大きな権現様が安置されています。重さが1tあるそうです。本当なら、昨年は5年ぶりのお祭りの予定だったそうです。権現様が綾里駅に避難してきた人々を守られたのかもしれません。
(綾里伝説と権現様についてはこちらをご覧ください → 24綾里駅 (りょうり) « 三陸鉄道株式会社の公式サイト
【8月23日(木)】
20時30分に無事、横浜に帰着しました。
「今度は電車で綾里駅に降りたい。」その思い胸に、解散です。
【おわりに】
気仙沼でも大船渡でも、なにも知らずに町を歩けば「復興したなあ」と単純に思ってしまいます。それほど、町はしっかりとした日常を取り戻しています。しかし、よくみると海岸付近には草が茂った平坦な空地が沢山あります。話をきかなければ「ここにまたビルが建つのか」と思ってしまいます。そこが地盤沈下により海抜ゼロメートル地帯に変わり、まったく再利用のメドがたっていないことなどわからずに。
大船渡にはまだ道路沿いに大きな船が残っていました。首都圏のニュースでは全く報じられていません。首都圏で流れるのは、3.11当日のVTRばかりです。
三陸鉄道南リアス線が運休のため、毎朝5時30分のバスで登校している高校生達がいるそうです。三陸鉄道南リアス線は2013年4月復旧を目指していますが、三陸赤崎駅は移設だそうです。線路は全線、細かな確認がいるそうです。やはり、微妙に曲がったりずれたりしているとのことです。線路自体を高台に移設する必要がある箇所もあるそうです。それでも、生活を守り、復興させるために多くの人々が汗を流しています。
知らないことが多すぎる。そう感じた今回の訪問でした。
スカウトに「顔の見える」復興支援をさせてあげたいと思っていました。復興支援はこれから5年10年と続けていかばければならない活動です。そのためにも、誰のために・何のために役立っているのかがわかる活動をしたいと思っていました。そこでこのブログに出会い、今年は「浮き球募金」に取り組むことにしました。
20日に浮き球2個を飾り、スカウトは手作りにの募金箱をもって、募金を行いました。
いただいた募金は集計せずそのまま、浮き球にいれさせていただきました。感覚ですが7万円くらいはあったように思います。募金に参加してくれたスカウト25名全員の募金箱に、千円札が入っていました。
浮き球は、今年の8月23日に大船渡市三陸町綾里漁業協同組合に、ベンチャー/ローバースカウトの手で、届けられる予定です。
実施日 2012年3月20日
実施場所 新横浜駅前
実施隊 カブ隊
午前中はCS/BVS隊合同で、CS隊の6組にBVS隊のスカウトが2〜3名混ざって、一緒に募金活動を行いました。新横浜駅前で、東日本大震災からの復興のために、大きな声で一生懸命募金をお願いしました。
募金箱は、ユニセフ所定のものに加えて、カブスカウトは一人一人が心をこめて手作りの募金箱を持参しました。募金をしてくれる人たちと、スカウト達の心で暖まったのでしょうか、11月とは思えない暖かな日でした。
午後は、CS/BVS隊スカウトから、BS隊スカウトに募金箱をリレーして、BS隊スカウトによる募金が行われました。
実施日 2011年11月13日
実施場所 新横浜駅前
実施隊 ボーイ隊・カブ隊・ビーバー隊
義援金総額 140,800円
現地に行った感想は、やはり百聞は一見にしかずなんだな、ということです。テレビを見ていると、未だに復興作業が滞っていて、ほとんどの住民が避難所で支援物資での生活をしています、といった内容がほとんどです。確かに、被害が大きかったところはそうなのかもしれません。ですが、今回ボランティアに行った石巻のメインストリートは、思っていたよりはるかにきれいでした。
勿論、傷跡がないわけではありません。
道路は所々ゆがんでいて砂利があり、車が巻き上げた砂埃で空気が少々ムッとしています。割れているガラス、ブルーシートの覆いはいくつも見うけられました。とはいえ、品物に偏りがあるもののコンビニは朝も夜も開いていましたし、お昼には飲食店やガソリンスタンドも経営していました。ホームセンターなども、一部使えないスペースがあったりはするものの、店外で販売を行っていたりと臨機応変な対応で店を開いていました。
やはりマスコミの情報はオーバーだなぁなどと思っていましたが、車が入った脇道で言葉を失いました。
そこはまさに、テレビの映像そのままの惨状でした。車が塀の上にあり、ヘドロの山があり、半壊状態の家がちらほら。えも言われぬ悪臭が漂い、どこかじめじめした空気が流れていました。さらに、より海に近いところでは、未だに道に海水が残っていたり、まったく手つかずで放置されている建物が大変多くありました。そして、津波の恐ろしさを改めて実感しました。というのも、建物の壊れ方が不可思議なのです。全壊、半壊の建物がある中に、ほとんど被害が見当たらない建物があるのです。おそらく他の建物が堤防がわりになったのだろうと想像できますが、その建物の両脇は、壊れているのです。つまり、壊れなかった建物より海から遠い位置にあるのに、壊れているのです。
このような景色をそこかしこで見て、思ったのです。阪神淡路大震災の二次災害は火でした。全てを飲み込み、焼き尽くす。後には何も残らない。大変恐ろしいものです。ですが、津波も負けず劣らず、縦横無尽、予測不可で襲ってきて、半端に壊して去って行く。原型は残っていても、とても使い物にならない。むしろ原型が残っている分、一度壊さなければならない。どこからか流れてきたゴミも処分し、ヘドロで覆われた地面にも対応しなければならず。復興への道のりを考えると、とても言葉にあらわせません。新築のキレイな建物、ひしゃげたトラック。泥にまみれたソファーやテレビ。足下を見れば、子供のぬいぐるみやおもちゃが落ちていて、否応なしに目頭が熱くなります。
あげ始めるとキリがないので感想は終わりにしますが、平和な日常を送れるということがいかに幸運なことなのかと心に刻んだことを、最後に付け加えておきます。
以下は、今回の活動で必要だと思った物のリストです。皆さんがボランティアに行かれる時のご参考になれば幸いです。
・長靴:地面はぬかるんでいます。必須です。
・しみない軍手:ヘドロ処理をする際、汚水が軍手からしみて傷口についたりすると、体調を崩す恐れがあります。
・つなぎ(使い捨て):個人的に大変便利でした。全身を覆えるのでヘドロが肌に付く心配がなく、使い捨てなので汚れることを気にせず動けるのはポイント高いです。ただ、強度が少し弱いことと、大変暑いことをご理解下さい。
・雨具:傘を持っていってもいいと思いますが、雨具(レインコート)も必ず持って行って下さい。それと、使い捨てることも考慮に入れたほうがいいかも知れません。ヘドロが多くつくと、臭いが・・・。100円の物でもいいかと。
・ウェットティッシュ:何かと便利です。顔をふいてリフレッシュ。付いた泥を拭き取ったり。勿論、お手拭きにも。
・マスク:ヘドロの臭いはなかなかです。作業をするときは長時間嗅ぎ続けるので、気分が悪くなる人のちらほら。悪臭に弱いなら必須です。(被災された方々は、その環境下で毎日、生活されているのです。)
・防寒具:流石東北。意外に寒いです。一枚は持って行きましょう。雨具で代用可です。
・臭い消し:ボディスプレー等です。お好みの物をどうぞ。
・暇をつぶせるもの:奉仕は夕方までなので、夜は時間があります。体調を崩さないためにも、ストレスを発散できるものがいいかと。
実施日 2011年4月29日~5月2日
実施場所 石巻周辺
実施隊 ローバー隊
ボーイスカウト横浜地区災害支援プロジェクトに中島スカウトが参加
新横浜駅前で東日本大震災の義援金募集をおこないました。
お天気はいいのですが、風が強く、日陰はとても寒く感じられました。ただ、風が運んでくれたのか、「募金お願いします」のスカウトの声は、とても遠くまで届いていました。
急遽決めた活動でしたが、19名のスカウトが参加してくれました。ボーイ隊始め各隊に支援を頼んだところ、なんと、RS隊スカウト2名、VS隊スカウト4名、BS隊スカウト18名、指導者1名、BVS隊2名、 指導者4名が参加してくれました。
カブ隊の指導者11名、保護者7名、団委員1名 、スカウトの弟妹2名を含め、71名が参加の一大集会になりました。
実施日 2011年3月26日
実施場所 新横浜駅前
実施隊 カブ隊(ローバー隊・ベンチャー隊・ボーイ隊・ビーバー隊は任意参加)
義援金総額 345,416円
ローバー隊梅山スカウトが呼びかけ、横浜8団ローバー隊として実施しました。横浜地区内にも広く呼びかけたところ、実に多数のスカウト/指導者に参加いただくことができました。
実施日時:平成23年3月19日(土)10時~18時45分
平成23年3月20日(日)10時~18時30分
平成23年3月21日(祝)10時~17時
実施場所:新横浜駅付近公道
募金額:19日:595,300円 20日:758,383円 21日:245,99円
3日間計:1,582,647円
送付先:日本赤十字社 912,647円
社会福祉法人 中央共同募金会 670,000円
<参加者、協力者 紹介:3日間合計60人(以下、敬称略)>
横浜8団 【RS隊】 梅山、川村、中島、井下原、吉田、市村、松村
【指導者】宮沢RS隊長、峯岸RS副長、中島CS隊長
横浜10団 【指導者】平井BS副長補
横浜20団 【VS隊】渡邊、松本、与儀、稲葉、中島、伊藤、大野
【BS隊】 犬塚、小西 【CS隊】犬塚、梶原
【BVS隊】 岡田、梶原
【指導者】田原VS隊長、木村BS隊長、駄馬BS副長、犬塚CS隊長、梶原BVS隊長、岡田BVS副長
横浜73団 【VS隊】 佐藤
横浜79団 【RS隊】 木山、若原
横浜89団 【指導者】海野RS隊長、佐藤団委員
横浜第95団 【RS隊】 米澤、鴻池 【指導者】 米澤団委員長、柿崎BVS隊長、鴻池BVS副長
横浜103団 【BS隊】 田中 【指導者】 井上BS副長、田中BS副長、石井団委員
横浜108団 【VS隊】 神嶋、米窪、吉田、坂本、小山 【BS隊】 吉田、坂本、鈴木 【指導者】 島袋BS隊長
横浜中央地区横浜30団 【指導者】 林BS隊長
湘北地区厚木4団 【指導者】 嶋崎BS隊長
福井連盟福井7団 【RS隊】 吉川
大阪連盟豊中地区豊中20団 【RS隊】 大岩
山梨連盟甲府地区甲府10団 【BS隊】 古屋 【指導者】 古賀RS隊長、古賀BVS副長
※本来はRS以上を対象としていましたが、VSについては指導者の付き添い、BSについては指導者の付き添いおよび保護者の許可、CS・BVSについては保護者の同伴で短時間のみ参加を可能としました。
実施日 2011年3月19日~21日
実施場所 新横浜駅前
実施隊 ローバー隊
義援金総額 1,582,647円
○2024年11月13日
来春1月開催案内を掲載いたしました受付開始します
○2024年11月9日
第18回通信を掲載しました
○2024年11月7日
体験会12/01を更新しました
○2024年11月7日
休隊申請についてを保護者・育成会員向けページに掲載しました
○2024年11月2日
スキー訓練実施要項を資料ダウンロードに掲載しました
○2024年10月28日
カブ通信11月号掲載しました○2024年10月15日
臨時募金活動を追記しました
第15回16回17回通信を掲載しました○2024年10月6日
10月開催案内を掲載いたしました受付開始します
○2024年10月5日
体験申込状況を更新しました
○2024年9月16日
第14回通信を掲載しました
○2024年9月9日
第13回通信を掲載しました
募金活動の様子を掲載しました
○2024年9月5日
秋の体験参加募集を掲載しました
○2024年9月2日
第12回通信を掲載しました
○2024年5月15日
第74期育成会年次総会開催案内
○2024年4月24日
2024年度版を掲載しました
○2024年4月9日
2024年度8団年間計画を掲載しました
○202年3月23日
新年度計画を掲載しました
初代の団委員長・矢作乙五郎さんがボーイスカウト活動を始め、ボーイ隊の設立準備を始めたのが、1949年。そして1950年に横浜第8団ボーイ隊が正式に産声をあげました。今年が70周年(71年目)となります。その後ベンチャー隊(シニア隊)カブ隊が生まれ、1959年6月11日に正式に「団」としての登録を行いました。
72期は4月時点で82名のスカウトが在籍し、活発な活動を続けています。主に菊名・新横浜・白楽・白幡・妙蓮寺付近が活動の中心となっています。岸根公園、新横浜公園、菊名池公園、菊名桜山公園などで姿を見たときは、ぜひお声がけください。
このホームページ上のスカウト運動に関する事項は、ボーイスカウト日本連盟ホームページ掲載「ボーイスカウト関係のホームページ開設(ボーイスカウト日本連盟)」に沿って、ボーイスカウト横浜第8団・団委員長/中島一郎の責任のもとに掲載しています。このホームページ記載の内容についてのお問い合わせは、メールにてお願いします。
<お問い合わせ先> 下記までメールをお願いします
(ホームページ管理者
副団委員長 中島一郎)